あと何回、私の作ったごはんを食べてもらえるだろう

成人した子どもたちとの関わり

大人になった子どもたちに、母親ができること

成長した子どもたちに、母親がしてあげられること。

それはもう、おいしい食事を準備することくらいなのかな、と思うことがあります。

中学生くらいまでは、毎日のように話す機会がありました。

でも、大学に通ったり就職したりしている息子たちと、込み入った話をする機会はほとんどありません。

誰とどんな話をしたのか。
嫌なことがあったのか、うれしいことがあったのか。

そんな話も、今ではほとんど聞かなくなりました。

日々暮らしていれば、人間関係をはじめ、いろいろなことがあるでしょう。

悩んでいても、悲しくても、少しくらいつらくても。
反対に、とても楽しいことがあったとしても。

その気持ちを共有する相手は、もう親ではないのだと思います。

親しい友人や同僚、彼女なのかもしれません。

あと何年、この家で一緒に暮らすのかは分からない。
そして、親である私も、あと何年生きていられるのか分からない。

どんな気持ちでいるときも、おいしいごはんを食べたら、少しは幸せな気持ちになれるはず。

成人した子どもたちに私ができることは、もうそこにしかないのかな、と思っています。

会話のない食卓に、少し寂しさを感じながら

家族それぞれの生活時間が違うので、一緒に食事をすることもほとんどありません。

たまに一緒に食卓を囲んでも、子どもたちはイヤホンをして、スマホで動画などを見ながら笑っています。

そこから会話が始まることも、ほぼありません。

昔は、食事をしているときに、

「お母さん、これおいしい!」

と言ってくれて、そのひと言から会話が広がったものです。

今では、同じテーブルで食べていても誰とも話さないことがあり、少し寂しいなと思う食事時間です。

それでも私は、いつも心のどこかで、

「あと何回、私の作ったごはんを食べてもらえるか分からない」

と思いながら、心を込めて作っています。

「お母さんのお弁当が食べたい」

先日、長男に翌日のお弁当がいるか、いらないかを聞きました。

「明日は……」と少し考えたあと、

「いる」と答えた長男。

「いるの?」ともう一度聞くと、こんなことを言ってくれました。

「できたら、お母さんのお弁当が食べたい。仕事の状況によっては持っていけないときもあるけど」

「どうして? 食費が浮くから?」

そう聞くと、長男は、

「違う。学校のときからやけど、お母さんが作ってくれたお弁当を食べてると、お母さんを感じる。しんどいなと思っても、お昼にお母さんを感じると頑張れる」と言ったのです。

なんてうれしい言葉!

思いがけない言葉に、胸がいっぱいになりました。

「お母さんのごはんのほうがうまい」

わが家では「ヨシケイ」を頼んでいます。

メニューが豊富で栄養のバランスも考えられているので、平日の夕食は、できるだけヨシケイを使って作っています。

また別の日、土日の食事がいるかどうかを次男に確認していたときのことです。

次男が、

「ヨシケイ?」と聞いてきました。

「それ、何か関係あるの? 土日やし、ヨシケイと違うけど……。ヨシケイがいいから聞いてるの?」

と尋ねると、

「違う、逆。俺、ヨシケイより、土日にお母さんが作ってくれるごはんのほうがうまいから。お母さんのごはんかなと思って聞いてみた」と言うのです。

「なんてうれしいこと言ってくれるの! ありがとう」

そう返すと、さらに、

「俺、本当にお母さんのごはん、おいしいと思う」と!

言葉にしなくても、伝わっていた

子どもたちが大人になり、会話が少なくなったことを寂しく思う反面、それも成長したのだから仕方がないと思っていました。

だからこそ、せめておいしいごはんを心を込めて作ろう。

そう思ってきた私の気持ちが、ちゃんと息子たちに伝わっていたのかもしれません。

それが分かって、とてもうれしくなりました。

その後も相変わらず、食事中の子どもたちはイヤホンをして、スマホを見ています。

たまに一緒になる食卓での会話も、決して多くはありません。

それでも私は、私自身の「大切に思う気持ち」を大事にしながら、今日も心を込めて食事を作っています。

あまりにもうれしかったので、ここでそっと吐き出してみました。

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