子どもたちが成人した今になって、ふと考えることがあります。
「私は、きょうだい児である息子たちに、何を残したのだろう」と。
私には、娘と息子が2人います。
娘は自閉スペクトラム症と小学4年生のときに診断を受けました。
娘が3歳のとき、私はステップファミリーになりました。
当時、私には2歳と5歳の息子がいました。
今振り返ると、あの頃の私は、子育てについてかなり悩んでいました。
娘の子育ては、それまでの経験が通用しなかった
それまで私は、息子たちを育てる中で、自分なりに「子育てとはこういうもの」という経験を積んできたつもりでした。
ところが、娘の子育ては一筋縄ではいきませんでした。
私が想像していた以上の行動が次々に起こり、
「どうしてこうなるんだろう」
「私の育て方が悪いのだろうか」
「どうしたらいいんだろう」
と、いつも悩んでいました。
しかも娘とは血縁関係がありません。
そのため、
「血がつながっていないから、私は無意識に何か違うことをしているのではないか」
そんなことまで考えてしまうことがありました。
娘に対して「育てにくい」と感じてしまう自分にも苦しみました。
その頃のことについては、こちらの記事にも書いています。
自閉スペクトラム症の子育て~診断に至るまで~ – sumi-life
もちろん、その当時は娘が自閉スペクトラム症だとは知りません。
小学4年生で診断を受け、初めて、それまでの娘の行動のいくつかがつながりました。
「あの行動も、そういうことだったのか」
診断を受けたことで、納得できることがたくさんありました。
それと同時に、
「もっと早く分かっていたら」
という気持ちもありました。
その頃、息子たちは2歳と5歳だった
今になって一番考えてしまうのが、このことです。
娘の子育てに悩み、娘との関わりに多くの時間と心を使っていた頃、息子たちは2歳と5歳でした。
親との関わりがとても大切な時期です。
本当なら、もっと息子たちと遊んだり、話を聞いたり、一緒に過ごしたりする時間があったのではないか。
娘にかかっていた時間や気持ちを、もっと息子たちにも向けることができたのではないか。
今になって、そんなことを考えることがあります。
もし再婚していなかったら。
もし娘の子育てで、あれほど悩むことがなかったら。
息子たちが2歳、5歳だったあの頃、私はもっと息子たちに時間を使っていたのではないか。
もちろん、これは今だから言える「もし」です。
過去に戻ることはできません。
そして、あの頃の私は、決して息子たちを大切にしていなかったわけではありません。
その時の私には、その時の精いっぱいがありました。
だから今の自分から、あの頃の自分に言ってあげたい。
「よく頑張っていたよ」と。
それでも、後悔がなくなるわけではありません。
息子たちは、母親の苦悩を見ていた
娘が診断を受けるまで、私は娘の行動に何度も悩みました。
丁寧に説明することもありました。
何度言っても伝わらないことに疲れることもありました。
怒ったこともあります。
泣いたこともあります。
裏切られたような気持ちになったこともあります。
そんな私の姿を、息子たちは見ていました。
母親がいつも娘のことで悩んでいる。
母親が娘に時間をかけて説明している。
そんな家庭の中で、息子たちは育ってきたのです。
もしかしたら、私に話そうと思っていたことを、飲み込んだこともあったかもしれません。
「今、お母さんに言っても聞いてもらえないかな」
そんなふうに遠慮したこともあったかもしれません。
実際に何があったのか、私はすべて知っているわけではありません。
だからこそ、今になって考えてしまいます。
娘を嫌いにならないでほしいと思っていた
娘が自閉スペクトラム症と診断されてからは、娘の特性について、息子たちにも年齢に合わせて説明してきました。
もちろん、娘のいないところで話しました。
娘の行動を理解してもらいたかったからです。
そして何より、
「娘に対して嫌な感情を持たないでほしい」
という気持ちが私の中にありました。
ただ、今振り返ると、それは息子たちにとって簡単なことではなかっただろうと思います。
頭では理解できても、嫌なことをされたら嫌な気持ちになる。
家族だからといって、すべてを受け入れられるわけではありません。
そこは、きょうだいであっても同じです。
娘が反抗期になった頃、私や犬に対して暴力的な行動をすることがありました。
普段は取っ組み合いのようなけんかをすることはありませんでしたが、そのときだけは息子たち二人が感情をあらわにして、娘を怒り、止めていました。
あの姿も、今でも覚えています。
成人した今、未来のことを考える
そして今、子どもたちは成人しました。
だからこそ、以前とは違う心配が頭をよぎるようになりました。
いつか私たち親がいなくなったあと、娘と息子たちはどうなるのだろう。
娘の行動によって、息子たちにサポートが必要になることがあるかもしれない。
反対に、息子たちが娘にサポートを必要とすることだってあるかもしれない。
本当は、どちらの可能性も同じようにあるはずです。
客観的に考えれば、未来のことなんて誰にも分かりません。
それなのに私は、娘のことでこれまでたくさん悩み、サポートしてきた経験があるからこそ、
「息子たちに、いろいろなことが降りかかってしまうのではないか」
と心配してしまいます。
もしかすると、親として娘を支えてきた時間が長かったからこそ、余計にそう考えてしまうのかもしれません。
「もしあのとき」が頭をよぎる
子どもたちが小さかった頃のことを思い出すと、
「もし、あのとき違う選択をしていたら」
という考えが浮かぶことがあります。
でも、そんなことを考えても答えは出ません。
再婚しなかった人生も知らない。
娘と出会わなかった人生も知らない。
息子たちにもっと時間を使っていた人生も、私は知りません。
私が知っているのは、あの時代を、あの時の自分が必死に生きてきたということだけです。
だから、過去の自分を責め続けたいわけではありません。
ただ、今になって振り返るからこそ見えるものがあります。
「あのとき、息子たちはどんな気持ちだったんだろう」
それを考えるようになりました。
きょうだい児の未来を、親が決めることはできない
きょうだい児という言葉を知ると、どうしても「障害のあるきょうだいを将来支える人」というイメージがついてしまうことがあります。
でも、私はそれだけではないと思っています。
娘には娘の人生があります。
息子たちには息子たちの人生があります。
将来、娘が息子たちを支えることだってあるかもしれません。
息子たちが娘を支えることもあるかもしれません。
家族だからといって、一方的に「支える側」「支えられる側」と決めることはできないのだと思います。
だから私は、息子たちの未来を今から決めつけたくはありません。
ただ、親としてできることはあると思っています。
娘の特性について、息子たちが必要なときに理解できるように伝えておくこと。
家族だからといって、息子たちが何かを背負わなければならないわけではないと伝えること。
そして、娘にも娘自身の人生を歩いていってほしいと思うこと。
それぞれが、それぞれの人生を生きられるように。
子どもたちが成人した今だからこそ
子育てをしている真っ最中は、今日をどう乗り切るかで精いっぱいでした。
娘のことで悩み、息子たちのことを考え、仕事や家庭のことにも追われる。
そのときは、20年後のことなんて考える余裕はありませんでした。
でも、子どもたちが成人した今になって、過去と未来が一本の線のようにつながって見えることがあります。
あの頃、もっと息子たちと向き合えばよかった。
そんな後悔はあります。
でも同時に、あの頃の自分は本当に精いっぱいだったとも思います。
だから、後悔だけで終わらせたくはありません。
今の私にできることを考えていきたい。
子どもたちが大人になったからこそ、これからは「親がどうしてあげるか」だけではなく、「それぞれがどう生きていくか」を見守る時期なのだと思います。
きょうだい児として育った息子たちが、これからどんな人生を歩いていくのか。
そして娘がどんな人生を歩いていくのか。
親の私には、まだ分かりません。
ただ、いつか私たち親がいなくなったあとも、きょうだいだからという理由だけで誰かが何かを背負うのではなく、それぞれが自分の人生を大切にしながら、必要なときに必要な距離で関われる。
そんな関係でいてくれたらと思っています。
そして私自身も、これからできることを少しずつ考えていきたいと思います。

