自閉スペクトラム症の子育て~診断に至るまで~ 

私はステップファミリーなのですが、娘が3歳になるかならないかの頃にステップファミリーとして新たに家族となりました。当初、私自身の実子は5歳と1歳後半の息子がいました。2人も3人も同じやと思って気負いせずに私らしく子育てをしていこうと思っていました。ステップファミリーとして子どもになった娘が、のちに「自閉スペクトラム症」と診断されました。世間は「継母」とみます。どんなに一生懸命に考えて子育てしていても「自閉スペクトラム症の親」「継母」という見方で悲しい、悔しい思いをたくさんしてきました。そんな時にわかってもらいたかった、偏見なく話をきいてほしかったんです。今、子育てに奮闘しているお母さんたちに、どんなことがあってどんな思いでどう対応してきたかをお伝えしたいと思います。少しでもお母さんたちに1人じゃないと思ってもらえたら嬉しいです。

当時、5歳・3歳・2歳の子育てをしている時に苦労したのは、実子の5歳・2歳には通用しても3歳の娘には通用しない、首をかしげる出来事がいつもありました。それは、「○○してね」「○○は危ないからしてはだめだよ」「うん」という日常の声が、返事だけで3秒後には、注意した同じことをする、とにかく話を覚えていない行動をとっていました。何回かは優しく伝えても、聞いてもらえないので叱ることが多かったです。今、考えるとそもそも言葉のイメージができていなくて理解できていなかったのだろうなと思いますが、その当時はどうしたら伝えたことをしてもらえるのか、してはいけないことをわかってもらえるのか、なぜ実子のようにいかないのだろう、叱ってばかりいる自分は継母だからか?とうまくいかないことで自分で自分を責めていました。育児書も「育てにくい子どもの育て方」などという本を読みまくっていました。

仕事をしながら子育てをしていたので、3人とも保育園に預けていました。1日保育園で頑張った子どもたちのお迎え時には、笑顔で抱きしめることを一番にしたいという私の思いがありました。年齢の違いでそれぞれお迎えのお部屋が違います。1人1人迎えに行くと、娘のお迎えの時だけは先に先生に「お母さん、ちょっといいですか」と呼ばれ、「みんなが○○している時に娘だけ△△で大変でした。」「癇癪のように泣き叫び、机にクレヨンで思いきり落書きされました。」毎日毎日娘を見つけ、抱きしめる前に先生に呼ばれ、今日の保育園の1日の様子がいかに先生に苦労をかけたか、みんなと一緒に行動できなかったかなどの内容を伝えられました。当初は、私の姿を見つけ、娘が目を見開いて笑顔で私に近づこうとしてくれていた様子が見えたのですが、毎日先生に呼ばれ、話している私を見るなかで、私が先生と話している間に隠れるようになっていきました。その様子の変化に気づき、翌日お迎え時にまた先生に呼ばれた時に「先生、ちょっといいですか。いつもお迎えに来た時に話してくださることは仕方ないと思っているのですが、娘を見てください。ああやってまた先生に自分のことを言われていると思ってか、私の姿を見たら隠れるようになっています。私は保育園で朝から頑張った子どもに一番に抱きしめたいと思っています。話より先に娘を抱きしめさせてもらえませんか」といったことを伝えました。先生も隠れている娘の様子を見て、私の思いをわかってくださり、そこからお迎え時にまず抱きしめることができるようになりました。先生が毎日母親を呼びとめ、子どもの今日の出来事を話されるということは、よっぽど集団の和を乱し、先生にご苦労をかけていることが伺えました。娘に今日の出来事を思い出してもらって、明日は同じ事があったらどうしていこうかと時間をかけて毎日毎日話していました。先生の手をわずらわせないよう、みんなと仲良くできるようにと精一杯話していても、娘の行動の変化はありませんでした。

幼少期の娘の特徴は、話をする時としない時の極端さがあり、自分がしていることに対してとめられるのをとても嫌がりました。癇癪のように泣き叫び自分の主張を通そうとしていました。伝えていることをすぐに忘れている様子があり、何度も同じ話をする必要がありました。でもこの特徴って幼少期の子どもにはありがちなことと言えるので、ただただ自分の関わりをどうしていったら、集団生活で迷惑がかからないのだろうと母としての関わり方を色々試行錯誤していました。でも毎日叱ることになっていたので、毎日毎日「また叱ってしまった」と自分を責めていたのと娘に接する時間が息子2人より長かったので、息子2人とも関わる時間をもっと持つ必要があると自分の毎日の立ち振る舞いに反省するばかりでした。

小学生になって1年生の時は、まず席にじっと座ってられない、忘れ物をする、物を失くす、指示を守れない、といった行動が続き、小学校入ってすぐの家庭訪問で先生から伝えられました。同じ年齢の子どもよりも言葉の出にくさを感じるため、「言葉の教室」というところに行ってみてはどうかと家庭訪問時に提案を受けました。(仕事と「言葉の教室」の日程が合わずに連れていくことはできませんでしたが)持ち物を忘れる、失くすにおいては、どうしたら怒られないか娘なりに考えたようで1年生の後半には忘れ物をした時は「お母さんが持っていったらだめと言ったから持ってきていない。」というような言い訳をするようになりました。物を失くすにおいては、「学校にある。」「先生が預かると言ってた。」「友達に貸してる。」といった第三者を登場させて物を失くしていないと言うようになりました。最初は信じていたのですが、毎回になり、おかしいと思って学校に連絡すると事実ではないことが先生とお互いにわかりました。家庭から学校へ行動範囲が広がることで、学校で家庭で何がどうなっているのか把握し、お互いが娘に対して適切な関わりができるように、先生と親が情報の共有を適宜する必要があると思いました。

3年生くらいまでで目立ってきたのは、身体や顔の掻き傷です。寝て起きると、顔に出血するほど無数の掻き傷があったり、腕や足などに掻き傷ができていました。痒さからきているものかと当初は思っていて、クリームを塗ったり、長袖・長ズボンにして搔かないように対策をしていました。

娘は小学校4年生で「自閉スペクトラム症」と診断されるに至ったのですが、「幼少期から一筋縄ではいかない、育てにくい」いや、「私の関わり方が悪い」など娘の子育てをするなかで、いつもこういう感情が渦をまいていました。でも病院に行こうと思うまでの決定的に逸脱していることはなく、日々過ぎていました。しかし、小学校4年生の時に私のなかで決定的な出来事があり、児童相談所に相談に行こうと決意させてくれました。ある日、娘は公園に遊びに行きました。しばらくして警察から電話がかかってきました。娘を保護しているから来てほしいとのことでした。急いで行くと、警察に囲まれ大泣きしている娘のところに案内され、確認されたあと、娘が大声で泣きわめきながら「お母さん!」と言っているドアを閉められ「来てほしい」と言っていたのに、「虐待の疑いで保護します」と接触を警察から拒まれました。「虐待??」と訳がわからないまま、警察に事情聴取されました。自分は何者なのかから始まり、再婚でステップファミリーであることがわかると、一層、子どもに対しての関わりを詳しく聞かれ、「日頃、家庭でジュースやお菓子を子どもに与えているのか」と聞かれた時は「ジュース??私の家ではジュースは普段飲みません。」「ジュースは与えていないの?」「家庭においてジュースはもともと置かないようにしていて特別な時くらいです」などなぜこんなことを聞かれるのだろうと思いながら返答していました。 娘が公園のごみ箱のなかの飲み終わったジュースの空を振ったりして入っていないか確かめるような行動と飲むような動作もあり、娘自身体型が瘦せていて、ほっぺに傷がたくさんあり、公園にいた人が虐待されているのではないかと警察に通報されたとのことでした。「継母」ということで条件的に虐待は可能性が高いとされたそうで、強制的に娘は児童相談所に保護されました。警察が家に来てあと2人の息子に虐待の跡がないか、息子は玄関で警察に「お母さんに暴力されていないか」聞かれ、服を脱いで足の裏まで傷などがないか確認されました。その後、児童相談所からその日の夜に連絡があり、虐待ではないことはわかると言って迎えに行くことができました。でも、この出来事は私にとっては一般的とは言えない、娘に何が起こっているのか相談に行く決意をさせてくれました。

今まで一生懸命に関わっていたけれど「継母」「虐待」という見られ方を体験し、実子の2人に警察の前で服を脱がせてしまう経験をさせてしまったことなど、伝えようのないショックを受け、誰にも相談できず本当に孤独な気持ちでいっぱいだったのを今も覚えています。

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